運ばれていく種

 

植物に実がなる。

それを鳥が食べて、

新たな土地に種が播かれ、育ち、実がなる。

そんなこんなが繰り返されて

たまたま、我が家に種が落ちて芽を出す。

この木は私の物だと、誰にも与えなければ

それはそれっきりなのだが、

やはり鳥が来て、また種は運ばれていけば

思いも寄らないところで実を結んでいるかもしれない。

 

北斎の浮世絵が、陶器の包み紙となって欧州に渡る。

その包み紙が、フランスの画家の目にとまり

影響を受け、名作を生み、

再び日本に渡り、いろいろな人に影響を与える。

もし、どこかで、それが断たれれば、それは伝わらない。

 

最初に実をつけた時

それがどこに、たどり着くのかは、想像できない。

でも、きっと、それは、そこにたどり着くまで、

いろいろな人の手に預けられて

その実の意志で、進んでいるのかもしれない。

だから、誰かのもとで立ち止まることは許されず

もし、私たちの手に届いたなら

 やはり同じように、誰かに渡して行くべきなのだろう。

そして、それを引きとめようと執着してはいけない。

それが流れていく運命の方が、

引きとめようとする力よりもはるかに強いから。

執着すればするほど、強い力で離そうとし

失う必要のないものまで、多くを失うことになるのだ。

 

例えば、私達がしたことの結果がすぐに出なくても

それが、どこで実を結ぶかはわからない。

私達は、神様からの預かり物をしただけなのだろう。

もし、手をすり抜けていく物があれば見送るのしかないのだ。

ただ、黙って、幸せな実をつける事を祈りながら。

 

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