大人の定義
小学校に入学してまもない頃だと思う。
体育を休みたさに『体育を休ませてください』と
親のふりして連絡帳に汚い字で書いた。
体育のずる休みは成功したが、
当然のごとく、すぐにみんなの前で叱られた。
牛乳を飲まないことが流行った頃は
牛乳の弊害を親に訴え、書かせた文章の
日付の部分だけ、毎日書きなおして、
飲まない記録を延ばしつづけた。
私は友達の親でさえ心配するようなお人良しの、子供らしい子供だった。
子供の頃、自分は子供だなんて思っていなかった。
でも、その馬鹿さ加減が、明かに子供だった。
中学生の頃も、高校生の頃もそうだった。
校則違反をしては大人だと思っているクラスメイトをガキだと思っていた。
社会人になっても、時間にルーズだったり
自己中の人間を見る度、
年令より必ず年下に見える私は
あんなのよりも、よっぽど大人だと思っていた。
大人は泣いたりしないと思った。
嫌な事があっても、不満を口にせず
相手を許せない自分の成長が足りないのだと
自分に制約をいっぱい課していた。
裏切られても騙されても、
友達なら嫌ってはいけない。
悪気がない事への、寛容さが必要なのだ。
自分が自分で嫌いだったあの頃。
子供のころの本当にアホな自分に憧れていた。
でも、大人の私は、
わかったような正しい事の中で生きていくべきだと思っていた。
どんなに、考えた結果でも、
どんなに苦労したり、努力した事だったとしても
後からすれば、アホだなぁと思う瞬間がある。
あんなに苦しんだ日々も、
正しかったはずの日々も
全て、若気の至りなのだ。
他人は知らないが、私の場合、
人生なんて、きっとこんな事の繰り返しなのだ。
いくつになっても、こんな事の繰り返しなのだ。
そのアホな私は、その瞬間の完成物だけど
きっと死ぬまで未完成で、
なのに完成しよう完成しようと思いながら生きているのだ。
きっと、永遠に自分が大人になったと思う瞬間はこないのだ。
泣いたり
アホだったり
失敗したり
馬鹿にされたり
物わかりが悪かったり
正しくなかったり
かっこ悪かったり
私はそれで良いんだと、自分の事を思う。
アホだったのは自分を大人だと思っていたあの頃
不幸だったのは、永遠に自分は大人にならないと知らなかった事。