わらにもすがってくれるな

 

わらにもすがるって言葉があります。

それは、人間の本能でしょう。

人間、勝っている時は気が大きくなっているので

大盤振る舞いもするのでしょうが

負けぐせがついている時は、逆で、

いろんな物にすがりたくなります。

(こんな時、より大きな相手に向かう人間は

無謀かもしれませんが、すがっているわけではありません。 )

で、そのときすがりたくなる物は、おそらく

自分にとって厳しいものではなく

どちらかというと、自分に比較的近くて、やさしい存在です。

或いは、自分が勝てると思う相手とか

とにかく、すがる本人にとって楽だったり、都合が良いものでしょう。

傷つき大怪我を負って弱っている時に、

なんの意図もなく、好き好んで爆弾に近づく人間はいないでしょう。

だから、自分を可哀想と思っている人が

悪徳商法にひっかかる割合が多いのです。

そして、更に自分を可哀想と思うのです。

そして、また何かにすがるかもしれません。

でも、それを繰り返すだけなら、悪循環を引き起こすだけでしょう。

そして、更に、負けグセをつけるだけです。

誰かに相談したところで、誰も悩みを解決なんてできません。

いろんなアイデアや分析はしてくれるかもしれません、

良くて助け舟が出ることもあるでしょうが

悩みを解決するには、良くも悪くも、

とにかく自分で納得するという以外にないのです。

他人に助けを求めるなとか、

そんなことをいっているわけではありません。

でも、もし、すがっているだけなら、自分の都合で判断し、

合わなければ排除するし、

結果が悪ければ文句の一言も言いたくなります。

要するに、そんなことしているから、悩みは解決しないのです。

 

本当に困った時は、これは良いとか悪いとかいわず

どんな藁でもすがるし、とにかく必死につかもうとします。

掴んだら、それを自分でちゃんと活かそうとします。

その後、結果的にどうであれ、本人はきちんと納得するのです。

 

どんな良いアイデアが転がっていようが

どんな罠をしかけられていようが

それを、どう選択して、納得していくかは

誰のせいでもなく、本人の勝手なので

他人にはどうしようもありません。

 

つかんで、おぼれても、それは藁のせいではありません。

そんなこともわからずになら

安易に藁にすがってくれるなと、私が藁なら思います。

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