大女優のように
誰かの何かが許せないことがある。
誰かの何かに傷ついたり、不快な思いをするっていうことは
仲がよければ起きないということでもなく
もしかしたら、深く関われば関わるほど
知ったつもりになればなるほどおこるのかもしれない。
頭では忘れる事を望んでも、心がそれを受け入れてくれるかは別だから
そうなるととっても厄介で、その板ばさみにもがき苦しんで
もっともっと、相手が嫌いになってしまう。ああ、なんていう不幸。
あいつさえいなければ良いのに!
ところで、
もし、あいつがいなければ、本当にそんなことにはならなかったのだろうか?
自分の周りでは、そんな人に心当たりはないとしても、
幼稚園の頃、もっと極端にいえば生まれた瞬間、
その人物の登場や、その後の展開を想像できなかったとしたら、
この地球上で、あいつの代わりになる人間が存在しないと言えるだろうか?
そう思うと、その人にはどうかはわからないが、自分にとっては
そうする人間は別に他の誰かでもよくって
自分に起こるべくことを、その辺の演出家が、
たまたま、その人に配役しただけのようなものなのかもしれない。
その人じゃなければ、他の人が代役をするだけのこと。
とすると、自分が同じ舞台に立ったとして、その役を忠実に演じるのが友達の場合
『あんた!いくら台本にあるからって、そんなことを友達なのにすることないでしょう!』
って友情を持ち出す役者はいないだろうと思うんだけど、
そう思えたら、別に誰がしたとかは考える必要はなくて、
ってことは、その人を好きとか嫌いとか思う必要もなくって
ただ、起こっていることに、自分に集中して反応すればいいだけなのだろう。
そうすれば、その行動にあった展開が続いていくだけの事。
きっと、大女優ならそうしているだろう。
そこにいたのはたまたま。その人もたまたま。
誰であろうが、どうでもいいこと。