夏休みと聞いて思う事

 

この時期、社会人になって

何が嬉しいかといえば、夏休みの宿題がないこと。

だって、学校で勉強するのに不向きなほど

暑くて休みになっているのに、なんで、家でやれるのさ。

学校でもするのが嫌なのに、家でやれるかい!

『学生はいいよなぁ』っていう社会人もいるけれど

私は、学生の方が嫌だったな。

仕事は、お給料の為っていうのが、とりあえずわかるのだが

学校で、やりたくもなければ、なんの為にかもわからない。

持久走やもろもろをさせられて

しかも、勝手に比べられて

成績が悪けりゃ、文句を言われたり

他のヤツらに馬鹿にされたり。

人間向き不向きってあるだろう。

たった、そんだけのことで、良いやつ・ダメなやつ

余計なお世話だと思ったよ。

仕事は、人間関係やいろんなことで理不尽なめにあったり

向かないと思ったら辞められるけど

学校を辞めようなんて考えたら、そのエネルギーは半端じゃない。

いまでも、よく何年も毎日通ったなって思う。

 

で、夏休みの宿題なのだが

これで、大人の期待通りに成長する子供もいるだろう。

でも、そういう人間は、強要しなくても

アドバイスをするだけで十分だろう。

しかし、違う方向に努力をするやつもいる。

例えば、暑中見舞いの片隅に

終わってない宿題と、終わった宿題を交換しましょうと書いて

宿題転がしをしたり、

読んでもいない本の感想文をいくつも書いて

友達が練習した習字の紙と交換して、

自分の名前を書いて提出したりという方向。

教師はそれを望んだかは?だが、

テストの点数と引き換えに

『ばかなことしたよな、ハッハッハ』という思い出を手にいれた。

正直に、宿題を出さずに叱られたとしても

充実した夏休みを手に入れただろうし

みんなそれぞれの価値観で、それぞれの責任で過ごしたなら

それはそれで良いのだろう。

いけないのは、

この子の為に良かれと思ったとかいう大人が勝手な考えで、

良くても悪くても、その子供が得ようとしているものを取り上げる事。

 

最初から、くだらないことを押しつけているのが大人の方だから

大人の思い通りにならないことを、誰が責められようか?

それに、思い通りにならなくっても

子供はそれなりに育つ。

結果的に、私はそう思う。

 

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