川に浮かぶアザラシ

 

突然、見慣れた川にアザラシが現れると、みんなで名前を呼んで応援する。

『こんなところにいては アザラシがかわいそうだ』

と、怪しい団体が、捕獲しようと現れる。

『我々がちゃんと見守ってるのに なんてことするんだ。アザラシがかわいそうだ』

と、地元民が抗議する。

確かに余計な事をするなと思う。

が、その前に、私らはアザラシ語が喋れない。

自分たちが、アザラシに良かれと考えて行動する事はできても、

アザラシに直接リクエストを聞くことはできないので

何が本当にアザラシの幸せかは全くわかんない。

言葉は通じたとしても、他人の心はわかんないので

私たちは、相手に良かれと思って行動する事ができても

それが本当に相手の為になっているのかはわからない。

相手に良かれと考えた行動だったとしても、

それは自分の考えられる中から選択したもので、

本当にその人の為になっているかどうかは、

その人が気持ちを打ち明けないとわからないし、

その人でもわからないかも知れない。

私の為にっていうのなら、確かに私のためなのかもしれないので

アザラシが自分で時々、現れたり、消えたり、移動したり、

私らの行為を受けたり、拒んだりするのなら

結果はともあれ、アザラシが自分の為に考えてとった行動なのだろう。

アザラシ語が理解できない今は

アザラシの気持ちをわかったつもりになるのは時期早々。

その人の気持ちが本当にわからないのなら

誰かのためには、ちょっと自惚れ。

 

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