マダムY.の優雅なる日常

日本のコートダジュール、横須賀日本のニース、広島の呉で、瀬戸内海に沈むオレンジ色の夕陽を眺めながら暮らすマダムY.の優雅な日常生活をあなたに送ります。 好きなもの:えび

about マダムY.の優雅なる日常 98年にサイトを立ち上げたときから、残り続け散るコンテンツです。為になるようなことは1つも書いていません。

2012/03/29

お金の話

ヨーロッパをあるいていると、
『1ユーロくれない?』
と、見知らぬ人から話しかけられる事があります。
要するにフランクな物乞いです。


ホームレスや物乞いのような人たちはどこにでもいますが、お国柄みたいなのがあるんでしょうかね?
スペインでは、両手がなく、カップを口にくわえて頭を振ってアピールする人がいました。アグレッシブで、むしろ生き抜こうみたいな感じがして、いやな感じがしませんでした。


情に訴えるようなアピールをするのはどこの国でも見る風景です。


でも、タイのパタヤのクリスマスに会った物乞いはまだ小学生ぐらいの男の子で、花火が上がりセクシーサンタスタイルのGOGOバーのお姉ちゃんと浮かれる外国人が溢れる街中には対照的でとても切なかった。
おそらく、お菓子を与えれば親に叱られるんだろうな。お金を与えたら、彼はここから出られないかもしれない。一番良いのは、彼が自分で稼げるようになる力を与えることなんでしょうが。


パリのホームレスは、地面に寝そべっていました。
集団でいる人たちはオペラ座の雑踏の中でも平気で寝ころびお喋りをし、1人でいる人は何もやる気がなさそうにお金が落ちてくるのを待っているようでした。


が、1人だけ、拾ってきた空き缶で何かを作り始める人がいました。
何ができるのかは見届けられませんでしたが、これがチェンマイのように細工されたものができたのなら、買っていたかもしれません。


そこにあるのは同情心ではないのです。
未来への投資なのです。それが数ユーロだとしても。


お金は稼ぐのは難しいです。でも、集める以上に使う方がはるかに難しいなって思っております。
消すのは簡単ですよ。でも使うのは難しい。


人はお金がないとなると、集めることに気を取られる易くなります。
私も年がら年中宝くじが当たりますように。6億円がやってきますようにってお願いしまくってます。
でも、お金は使わなければただの数字の羅列です。
その数字が大きくなる事が、たかが100年の人生と引き換えにするだけ楽しい事なら話は別ですが、そうでなければ、何もせずに終わるのは勿体ない話しです。


かと言って、ない袖は振れないわけですが。


でも、お金を集める事ができたとしても、底抜けの容器だったり、ふろの栓を閉め忘れたような状態だったらどうでしょう?
水はたまる事はありません。キリがないのです。
お金は活かしてなんぼ、廻ってなんぼなんだと思います。


私は日本の国がやっている事が良くわからないのです。


公務員の新規採用を6割減らすと言います。
休眠口座のお金を欲しいと言います。
税金を上げたいと言います。
年金も70歳からにして欲しいとか言います。

日本は貧乏だからお金が必要だと言います。
だから集めるというのです。


が、


若い人からお金と希望を奪ってどうするつもりなんですかね?
デフレ脱却って言いますが、物価が上がったところで、お金がない人には買えませんよ?
お金がない⇒物が買えない⇒儲からない⇒補助が必要⇒国に頼る人が増える⇒出費がかさむ⇒国にお金がない⇒国民からお金を出させる⇒お金がない(繰り返し)


しかも、お金がない⇒儲からない⇒外国から安い賃金で働いてくれる人を連れてくる⇒日本人の雇用が伸びない⇒一国民にお金がない⇒儲からない⇒補助や生活保護を申請する人が増える⇒国の費用がかさむ⇒国民からお金を集めようとする


こういう図式にもかかわらず、お金が足りないとなるとお金を集めることに目を奪われがちになります。
けれど、自分が何をどれくらい持っているかという事がわかっていなかったり、お金が消えて行くことには無頓着な人も多いのです。


例えば、外国人が日本で働くと所得税を払う事になります。そして、基準に当てはまれば、居住地に関わらず、扶養控除が人数無制限で認められます。
日本円で38万円なら、個人所得の低い国では控除対象者が増える可能性はありますね。
その結果、所得税±0という状態にはなりうるわけですが、これは日本が外国人に対して正当に認めていることです。
また、外国人だからと言って申請している人ばかりではないと思います。


けど、外国に住んでいる扶養家族については、金銭的な事や手間などから、日本はあまり厳しく調べないというのです。
その結果、不正受給する人もいるという話しです。


これは外国人だから悪いという話しではありません。日本人でも同じ事をする人がいるでしょうし、正当な範囲の人も勿論います。


でも、その結果、日本に不利益な状態が行われているとしたら、それを管理しない日本人には責任があると思います。
また、これで国益に不都合があるとするならば、国益にかなうような仕組みに代える必要があります。


が、それができていない。
お金がないと言っている人にあるまじき行為だと思いますが、お金がないっていう人に多い行為だと思います。


だから、お金の使い方を知らない人にお金を渡すのは嫌なのです。


それが、同情すべき状態に対する支援であってもです。
キリがないっていうのもありますが、昔、タイなどでは物乞いをさせる為に子供の手足を切ったりしていましたが、場合によっては、お金を安易に与える行為が、その人が自分で生きる為の稼ぐ為の手足と誇りを奪う可能性もある。
一番ショックだったのは、善意で預けたつもりの募金が、実は他の国の政治活動資金に利用され、武器を買うお金に使われていると知った時でしょうかね?街頭で自然災害の被災者のための募金活動が行われていたんですよ。
でも、それは表向きで、実態は違う団体が活動資金を集める為のもの。
善意でもお金を与えれば良いということではないと気づかされました。
お金を使うというのはとても難しいし、使うなりの責任が本来は伴うものなのだとも思いました。


フランスのホームレスの人は、空き缶という財産と自分の想像力と手から何かを作ろうとしていたわけです。
もし、それが完成したのなら、そしてそれが彼が前に進むきっかけになるんだったら、潤うのはおそらく彼だけじゃないんだと思います。
巡り巡って世の中が潤うんだと思います。


かと言って、それに値しないものにもお金を授けようとするのも違うのだと思います。
それをするからお金は行くべきところに行けなくなるのです。


ただ、単純に、お金が使われるとしたら、手足を奪うようなものではなく、誇りを持って手足を動かして自分で歩けるようになる為にお金を使われたらいいのにと思います。


そして、その為にも、今のようなお金の流れ方は正直?なのです。
何かのせいにしている限り、私たちは自分たちを省みることはないでしょう。


願わくば、私たちのお金が活きる世の中の流れになりますように。
人々が自分で人生を歩く事を喜べるような世の中になりますように。


お金を集める為に私たちは生まれてきたわけじゃありません。お金にしても同じです。
お金は活かしてなんぼなんだと思います。
無頓着じゃできません。
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