可能性と現実
例えば財布に10万円入っているとして、これを多いと見るか少ないと見るかはその人その人によって違いますね?
言いかえると、お財布にお金がいっぱい入っていると言っても、他の人と同じような基準とは限らないわけです。
そういった、人によって異なるものを基準にすると、他人に物事が伝わり難いので、数字で表現しなさいとのことでした。
で、数字で表現する。
例えば、土地家屋の場合の何坪とか、CD売上何万枚とか、これは実在し、数えたり測ったりして現実的に表現できる数字です。
そうではなく、曖昧なものを数値化する。…例えば、降水確率。
これはいろんなデーターに基づいてはじき出されている数字だとは思いますが、現実では不確定な数字です。
自分が受験して合格する確率とか、可能性とか、もっと曖昧なものを言えば信憑性とか。
これらは、現実として存在しない数字ですが、でも、降水確率90%といわれれれば、出かけるときに雨具の用意を考えるだろうし、信憑性0と思えばその人の話しを信じようとは思わない。
曖昧な数字ではあるのですが、意外と自分の生活に影響を与えている数字ではあると思うのです。
ところで、
天気予報で降水確率90%の時、実際に雨が降る確率というのは何%だと思いますか?
まぁ、降水確率ではなくて、宇宙人が存在するかどうかでもいいのですが、
そういう質問が出た場合、どれでも同じ、答えは50%ですよね?
これが雨が降る可能性なら90%なのかもしれませんが、実際に雨が降るか降らないかは、降る・降らないの2択だから50%。
宇宙人がいる確率も存在する、しないの2択だから、可能性に関係なく50%なのです。
これはどういう事かというと、可能性はあくまでも可能性であって、可能性と現実は別々に存在するもので、本来、可能性が現実を左右することはないという意味になります。
ところが、人の脳が可能性を現実と錯覚してしまうと…例えば、可能性が低そうだから、物事を諦めるという行動をとってしまうとか、そういう場合は、現実を左右してしまう事になるんですね。
ちょいと厄介な人たちと話しをしていると、
『可能性は?』とか、『絶対と言えるのか?』という論争に持ちこまれそうになる事があります。
世の中に『絶対はない』という決まり文句もあれば、可能性を用いることによって、なんやら、説得力がありそうな話しにされますが、そんなのね、本来どうでもいいんですよ。
どんなに信憑性があろうが無かろうが、可能性があろうが無かろうが、そんなのに関係なく、あるものはある、ないものはない。
参考や検証するのは悪くはないと思うのですが、曖昧な数字に必要以上に振り回される必要はないんだと思います。