マダムY.の優雅なる日常

日本のコートダジュール、横須賀日本のニース、広島の呉で、瀬戸内海に沈むオレンジ色の夕陽を眺めながら暮らすマダムY.の優雅な日常生活をあなたに送ります。 好きなもの:えび

about マダムY.の優雅なる日常 98年にサイトを立ち上げたときから、残り続け散るコンテンツです。為になるようなことは1つも書いていません。

2012/05/17

バカの壁

同名のベストセラーがありますが、全く関係ありません。
また、お酒や食べ物の話しでもない、だらだらとした戯言です。興味がない方は華麗にスルーを。


1998年の終わりに、ホームページを作り始めました。ブログ…せめてWebsiteじゃないの?いいえ、あくまでもホームページ。何か特別な意思があったわけじゃなくって、単なるモノの弾み。


で、パソコンとかネットとか、或いは誰かの為になるような専門知識や技術とかあるわけじゃないし、芸能人の日記でもないサイトなんて、誰も読むなんて思えないと、好きな絵を描いて、好きな事言ってたんですが、どういうわけか、みなさんにかわいがってもらって、で、今に至り。


でも、ときどき凡人の壁みたいなのを感じるんですよ。
今に始まった事じゃなくて、古くは、無難に社会系の学部に行くつもりが、間違ってデザイン科に入っちゃった時もなんですが。


短大のデザイン科が凄く面白いところで、それは、美術系にありがちな不思議ちゃんやエキセントリックな人たちがいたからっていう事じゃなくて、凄くまじめでおとなしい人でも構わないし、実際、私みたいに他の学部を受験したのに、デザイン科に入っちゃってた人がいたりしたので、いろ~んな性格の人がいたんですが、デザイン科なので何でもアリなんです。あっさり『それが個性』って言っちゃう。ただ、ポリシーとして『自分たちは他の人と一緒じゃダメだ』って感じ。


そうなると、後は自分のパーソナリティーを何処まで表現するかの勝負になって行くわけなんですが…


自分は、最後まで迷ったまんま終わったんです。
デザイン科のシビアなところは、自分の作品を前に出して、更に他の人に見て貰ったり、評価を受けなくちゃいけないんですが、
みんなが褒められている中、1人だけけなされたりすると、もう、シンドイわけです。
しょうがないんですよ、実力なんだから。でも、そうすると、どんどん自分が迷ってしまう。それで終わっちゃった感が強いんです。


天才とバカは紙一重と言いますが、秀才やアホとの違いは、おそらく、その一線を越えて向こう側に行くか行かないかの話しなんだとおもいます。
凡人の壁、これが越えられない。


この壁、何でできていると思います?
才能?私はずっとそう思ってきたわけです。
まぁ、それもそうなのかもしれませんが。


例えば、なんちゃらバカって言葉がありますよね?音楽バカとか、自転車バカとか。
そういう人のサイトは面白い。
何が面白いかっていうと、凡人の向こうに行っちゃってるから。


『こいつ、こんなことして、バカじゃない?』
でも、愛おしい。


自分はそこまで関心がないことかもしれないし、少なくとも、そこまでやる気にはならないかもしれない事をやってしまうその姿に惚れるんです。


今の私からすれば、学校で絵を描いていた時の自分がどうして壁を越えられなかって考えたとき、ぼんやり向こうに見えるもんがあるんです。


誰がなんと言おうが、好きにやりゃぁ良かったって。


ぼろくそに言われて凹むかもしれない、実際、そうだったし、でも、それでもそこをつき通せなかったから越えられんかったんだろうなって。


才能がないとか、不器用とか、そんな事を気にしてたけど、それがいつかは結果に差を生むとしても、それは二の次で、まずはただ思い切って突っ走っちゃっえば良かったんじゃないかって。


だからこそ、相手にされない事もあるかもしれないけれど、惹きつける何かを産めるのかなと。


とはいえ、相変わらず凡人の壁の前で思案する私がいるわけですが…


何でず~~~とだっさいホームページとやらを作っているか…っていうと、理由はいくつかあって、1つはSNSだと情報が流れてしまうと言う点。


私はいろんなところで旅の情報を貰っているので、自分が恩返し(=情報の提供)をしようと思った時、情報が次々と流れて行くSNSは不向きなこと。


でも、それでも、もうちょっとこ洒落たサイトを作れば良いじゃん?
今時、CGIを弄ったりしなくても、無料ブログを借りて素材を拾ってくれば、いくらでも素敵なサイトが作れるんだからって話ですよね?


一番いけないのは、自分の仕事が遅くて、テンプレを作ったり、記事をUPするのが全然間に合っていないことなんですが、
私も、ブログに転向して、こ洒落たサイト系に流れようかなぁ…と思った事があるんですが、よくよく考えたら、それは他の人がやればいいんじゃないかと思ったわけですよ。


仕事で作っているわけじゃなくて、そもそも道楽だし。尤も、道楽じゃなくてもこれしか作れないだろうから、来た仕事みんな断ってきたんですが。


でも、もし、私がいつか凡人の壁の向こう側に行く日が来るとしたら、多分、これなんじゃないかと。


天才やバカって、他人を引きこもうなんて事考えてなくて、ただ突き進むから、面白いし、惚れるし、惹きこまれる。


尤も、ヘタレなので、そこまで突き進む精神力がなさそうだし、才能もあるとは思えないので、たどり着けないとは思いますが、それでも本人が楽しけりゃ宜しかろ?


けど、考え方としては、お膳立てされたものに飽きてきた世の中においては、アリなんじゃないかとも思うんです。


普通じゃダメなんて言いながら、作っているもんじゃダメなんですよ。
それでは、普通じゃダメと思いながら作ったもんができるんです。
ウケようと思って作ったものは、ウケようと思った作品ができるのです。
誰かのようになりたいと思ったら、誰かのようになりたい人になるのです。


だから越えられないんですよ、バカの壁。


正確には何かの真似であっても、オリジナルじゃなくても良いんです。
高校の時の美術の先生が、他人の中から素晴らしいと思うものを選ぶのも真似るのもセンスと腕がいると仰ってたのは尤もな話だと。
だから、それはそれで、自分が存在しないわけじゃないんです。


で、どうせ生きているのなら、可能不可能は別として、その壁を越えて、やっと咲く花を見てみたいのです。
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