マダムY.の優雅なる日常

日本のコートダジュール、横須賀日本のニース、広島の呉で、瀬戸内海に沈むオレンジ色の夕陽を眺めながら暮らすマダムY.の優雅な日常生活をあなたに送ります。 好きなもの:えび

about マダムY.の優雅なる日常 98年にサイトを立ち上げたときから、残り続け散るコンテンツです。為になるようなことは1つも書いていません。

2012/05/25

お金は楽しいところ喜ぶところに集まる

たいした話しじゃないので、興味がない方は軽くスルーを。


たかが10円、されど10円。

お金というのは、その数字の桁の数や数字の大きさに人の神経が行きがちですが、実際はそれは錯覚だったりします。


理由の1つは、その数字の桁数や大きさに対する印象が、人によって異なる事。


仕事をしていた時は、たかがと思っていた金額でも、文句も言わずだんなちゃんが働いて稼いでくれたお金に、1円であってもたかがなんて言葉はないのでございます。
けど、ときどきスピに中途半端にかぶれた人に、うっかりそんな事を言えば、ブロックがとか、執着がとかくだらん事言われますよ。


じゃぁ、お金を使わない?
そんなことはないと思います。


見る人が見れば、派手にお金を使うように見えるかもしれないし、スーパーの食品売り場に立つ私を見れば、お金を使わない人に見えるかもしれない。
でも、それは数字から見た話。


実際には、無頓着なら無頓着なりに、ケチならケチなりに、その時その時で、財布の紐を緩めたり絞めたりしているわけです。


そう考えると、お商売主が3万円の価値があるとか、2万円稼ぐ為の商品、1万円は欲しい…なんて思っている物を『3000円なら安い!』と思ったところで、財布の紐を緩めたり絞めたりする人が『3000円なら安い!』と思わないと売れないわけです。


不思議なことにね。ときどき、例えば自分が商売をしている=商売のプロと思っている人がいますが、案外、商売人はその感覚麻痺する人が多いんですよ。
それは、見方を変えれば、商品についての価値がしっかりわかっている事が原因かもしれないし、単にお商売がわかっていないからかもしれない。
けど、肝心なのは、財布の紐を握っている人がどう思っているかってことなんですよね。
誰も、好んで損をしたと思いたくはないわけですから。


となると、お金はどういうところに集まるか…
楽しいところ、気持ち良いところ、喜ぶところなんですね。


自分から見て、下らないと思うものに大枚をはたく人もいる。
でも、払うその人は気持ち良く払っていることだって珍しくないわけだし、
逆に、大嫌いな人には、1円たりとも渡したくないし、そんな人に渡すぐらいならどぶに捨てた方がマシって思うわけですね。



間違っていけないのは、売り手に身を削れとか、買い手に媚びろっていう話しじゃないんです。
物事の基本は物々交換なので、品物でも労働力でも売り手と買い手は=なのです。
なので、そのバランスが崩れたら、それはそれでやはりうまくいかない。


でも、言いかえれば、ちゃんと手を結べるからこそ、相手の利益が自分の利益と言える状態がやってくる。


もっとも、欲しくてもない袖は振れぬ…というのはありますが。


何にしろ、どうやって相手にお金を出させるかなんて考えてたら、お金はどんどん逃げて行く。
けど、お財布のひもを握っている人が払いたいと思うような状態であれば、逆に向こうからやってこようとする。


大盤振る舞いをしなかったり、財布のひもが固いからケチっていうわけじゃないんですよ。
誰だって損をしたくないし、それでつまらない思いをするのはもっと嫌なもの。


そうじゃなくって、楽しそうな事にお金を使って、その結果幸せになる…それが自然な流れなんだと思うんです。
で、それで喜んだのなら、また喜んでお金を使う。
そんなもんだと思います。
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