ベクトル
私は本当に苦手で、今思えば、何故に楽しくもない学校に毎日通えたのか不思議で仕方ありません。
とにかく勉強が嫌いで、授業中もずっとお絵かきしていたし、テスト勉強も全くやらなければ、ノートも取らないタイプでした。
大人になってから、仕事上で子供のころに習った事をまた勉強し直すこととかあったんですが、仕事だと苦にならないんですね。学ぶ内容は同じなのに。
自分のやる気のベクトルが向いていればそんなもんなんでしょう。
他の人に言われた事を素直に実行できるタイプの人もいらっしゃるかと思いますが、
私は自分の気が向いた事以外は全くできないタイプの人間で、例えば、勉強しなさいと言われれば、どうすれば勉強しなくて済むかに、ものすごく熱心に取り組むタイプなんですよ。
いろいろ考えたら、かえって手間だって思うんですがね、でも、そういうタイプ。
そう思ったら、うちの親は『如何に机の前に座らせるか』ではなく、如何に私をそそのかすかって事を考えた方が、よっぽど効率良かったと思うんですが、どうでしょう?
私みたいなタイプじゃなくても、自分の気がそこに向いているか向いていないかは、その後の事運びに大きく影響しますよね?
やる気がない事を嫌々やるのと、やりたくてやるの。同じ事をするにも全然違う。
例えば頼まれごと。
自分が美味しそうっていう話しが飛び込んできたら、喜んで食いつく。
自分が受けても良いなと思うような内容なら、気軽に受ける。
自分がその気がなかったり、面倒だなって思った事だと、相手から目を背ける。
つまり、その気がない人にいくら頼みごとをしたって、無駄どころか、相手との距離が生まれるばかり。
誰にでも事情や都合っていうもんがあるのだから、断るのは、本当はすっぱり断っちゃえば良いんですよ。
でも、相手の期待に添えない事に対してなんとなく後ろめたさが付いてきちゃうんですよね。
物事に責任感を持ってもらう事や、必要な義務っていうもんがあるんですが、ただ、義務やシガラミで他人を縛ることには限界があるんだと思います。
じゃぁ、縛らなければ、物事は進む?
ってわけでもないんですよね。
例えば、まったくの自由と自主性。これもまた人が戸惑い易いものの一つですね。
自分が絵を描きたいと思っている人に、真っ白な画用紙を与えれば絵を描きます。
もし、そういう状態でなくても、自分が好きなものや描きたいものをもっている人も、絵を描く事ができると思います。
でも、白い画用紙を渡されても、何を描いていいのか、全く浮かばない人もいるわけです。
絵を描けない状態の人に、さぁ、あなたが思うものを存分に描いて下さいという事も、自主的に絵を描こうと思って下さいという事も、少し難しい話しなのです。
自由なのに?自由だからです。
足りないものは何?
車の運転席について、直進するのか右折するのか左折するのか決められなければ、車は立ち往生しますね?
そんな感じ。
もし、人が行動できるとしたら、頭の中に少しでもいいから次に向かう為の方向性が必要なんですね。
それが無くては、やっぱり動けない。
かといって、高すぎるハードルやキリがないゴールも同じ。そこに向かえと言われたところで、モチベーションが続かないのです。
これらを踏まえると、もし、他人を動かそうと思ったら、動き出す為の楽しい理由と、ハードルを越えやすくするためのサポートって言うのがあれば、一番効率が良いと思うんですが、どうでしょう?
一見、面倒に思えますが、ただ漠然と「動いて」と言っても、頼まれた方はどうしたらいいのかわりにくいし、
自分が不得手な事、楽しくない事は敢えてしたいとは思わない。
その状態から、相手のやる気やその気を出させるよりも、楽そうに思えるんですがね。



