シンデレラ
確かに王子様は美しいシンデレラに見とれて…っていうのがあるので、きれいだからっていうのは理由の一つなのかもしれないけれど…。
私が20年ぐらい前に読んだおとぎ話の解釈をするコラムでは
「夜な夜なダンスの練習をしたから」
と書いてありました。
イメトレの成功例?まぁ、そんな所なんでしょうが、
舞踏会に行くチャンスがあっても、踊れなければ躊躇していたかもしれない。
躊躇しなくても、華麗に踊ることはできなかったでしょう。
とのこと(だったと思う)。
つまり、
幸運をつかんだり、チャンスを活かすためには、そうじゃない時の時間の過ごし方が重要ってこと。
真冬に夏を懐かしんでTシャツ1枚で外に出たところで、寒い思いをして風邪をひくだけ。
夏を思いっきり楽しみたいなら、より楽しむために冬を過ごす。
チャンスが来ても掴めなきゃ意味がない。
チャンスが掴めても、息切れしちゃ活かしきれない。
無茶して、無理してもそれはそれで充実した時間が過ごせるのかもしれないけれど、
人間が枯れ果ててしまうような、すり減らし方をしてはダメ。
時に人は悲しみに暮れることはあるかもしれないけれど、不幸に酔い痴れてる時間なんぞなく、
明日のために、自分を癒す。
夢見て欲望をもっちゃだめ?
のんのん、
ニンジンが目の前にぶら下がってるからこそ、前に進もうっていう気力が湧いてくるのです。
焦るのは、自分の脳がイメージするところと、自分から見える現状の自分が=じゃないから。
でも、言い換えたらそれだけ。
それ以外の何物でもない。
シンデレラにとって、舞踏会を夢見て踊っていた時間は楽しいひと時だったはず。
いつか忍び込んでやろうと、虎視眈々とチャンスを狙っていたかもしれないけれど、
現実がどうとか、行けるとか行けないとか考えずに、行きたいなぁ…って気持ちで、夢見る時間を楽しんでいただけなのかもしれない。
現実は大事だし、現状を知ることは意味があることだけど、
でも、そこから想像できることと、未来はまた別の話。
現状や現実は、今、そうであるということにすぎないのだから、
それが、足かせになっては意味がない。
もし、今、ままならないように思えても、
明日もこの先も、そんな色に染める必要はなく、
どうせ、まだわかんない先のことなら、
とりあえず、自分の人生をばら色に塗っておけばいい。
シンデレラはそうやって夢を掴んだのだから。
そういえば…
ガラスの靴はなんで魔法が解けても消えないのっていう質問が、ネットに出てたけど、
どうも靴だけはもともと自前だったよう。
置き忘れた靴のサイズとたまたまシンデレラの足のサイズが一緒だっただけじゃない?
っていう誤解を受けないように、
証拠として、もう片方の靴も王子様の前で履いて見せるというシーンもあったそう。
おとぎ話は、子供にも伝わりやすく端折られるものかもしれないけど、
大人でも、へ~~~って思えるような、ロングセラーになるだけの要素があるんでしょうね。



