マダムY.の優雅なる日常

日本のコートダジュール、横須賀日本のニース、広島の呉で、瀬戸内海に沈むオレンジ色の夕陽を眺めながら暮らすマダムY.の優雅な日常生活をあなたに送ります。 好きなもの:えび

about マダムY.の優雅なる日常 98年にサイトを立ち上げたときから、残り続け散るコンテンツです。為になるようなことは1つも書いていません。

2013/06/22

天文学者になればよかった

きみ~が~ ここから~でていくわけは~ しあ^わせ、えが~いた 僕の設計みすさぁ~♪


全くその通り。


この歌詞の主人公は、愛する彼女の為に、彼女にとって良かれというものを全部揃えたつもりなのですが、その幸せの設計図にはミスがたくさんあったようで、彼女は出て行ってしまいます。
こんなことなら、最初から天文学者にでもなりゃよかったというさだまさしの歌です。


当たり前です。
そこに書かれているのは、彼が思う彼女の幸せであって、彼女が望む幸せではないのです。
それがいい、悪いではなく、単純に彼女は彼の思考から自由な存在ってだけの話なのです。


それがわからん時代が、私にはありました。


その人にとっての良かれを考えれば、すべてうまくいくのだとおもっていました。

その方が、自分の思い通りに行くんじゃないかとか、誰にも責められないんじゃないかとか、とにかく、設計図を引きまくった時代があったのです。
でも、人って自由なのですよ。
っていうか、図面を引けば何とかなると思っている自分が不自由なだけで、本当に人は自由なのですよ。
自分では、こんな風にすればうまくいくんじゃないかといろいろ画策してみて、時にはかっこいぃなんて己惚れて。でも、実際は、図面通りに何一ついかなくって、それどころかずたぼろになってようやく、
自分が他人の図面に沿ってみせるのも、考えたら、それは自分の計画がうまくいくように乗せたいだけの話で、何一つ楽しいとか納得しているわけじゃない。
そう考えたら、他人様だって私の図面通りに行くわけなんてないんだなと初めて気が付いて、やっとこさ、違う人生を生きた方が幸せジャン?と思えた次第。

自分にとっては理想の桃源郷を作りたいとしても、そこに他の人が住みたいと思うかは別の話。
その人にとっての桃源郷作ろうと思ってみたところで、自分が作ろうとしているものを、その人が気に入るかはまた別の話。


でも、単純にそれがわからなかったあの頃。
そこでこそ、自分が生きられると信じるかのように、設計図を描くことに没頭していたころ。


歌の主人公は、こんなことなら天文学者になればよかったと言い出します。
で、もし、自分と同じように、幸せの設計者になり損ねた若者の肩を抱いて、したり顔で
君、それでも地球は回っているんだって言ってやろうじゃないかという歌です。


幸せの図面にこだわって、その世界の中で生きようなんてナンセンス。
っていうか、そこに住める人は誰かいるのかい?ってなもんですかね?

お前さんのためだって言われたって、
誰かが勝手に作った家に閉じ込められてみろ?お前さん、窒息死しそうになって逃げだしやしないか?
ってところでしょうか?


ならば、才能がないと気が付いただけ、歌の主人公は幸せなのかもしれません。


そして、そんな思惑とは関係なく、確かに地球は回り続けるのです。
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