願い事
旅行に行きたいとか、彼氏が欲しいとか。
安定した生活が送りたいとか。
最初は本当にシンプルなのです。
で、その願い事についていろいろ考えます。
こうなったらいいな。あ~なったらいいな。
叶えるには何が必要かな?と
シンプルな願いに、いろいろなものがくっついてゆきます。
旅行先はロンドンにしよう。あのパブでフィッシュ&チップスを食べながら、ビールを飲もう。
最初はロンドンに行ければいいなぐらいな感覚でも、どんどん広がったり、細密化されたり。
楽しいひと時ですね。
でも、ロンドンでそんな旅行をするにはお金がない。どうしたらいいんだろう?
そうだ、お金が必要だから、お金を稼ごう、そのためにはどうしたらいい?そうだ働こう!
じゃぁ、どこで働く?
あの仕事は嫌だな、この仕事ならいいな…
こんな感じに、旅行に行きたいという骨にいろいろ肉がついてきます。
それが楽しいのですよね。
ところが、
現実っていうのは、自分の頭の中で描いた通りに行くとは限りません。
思うような仕事がなかったり、
思うような仕事を見つけたとしても、実際は理想とは違っていたりとか。
旅行に行けることにはなったけど、自分が描いたプラン通りにするには難しいとか。
それが、自分でも、仕方がないなと思えればいいのですが、
それでも、自分が思い描いたものがどんどん削られいてくのはとても寂しいものだし、
例えば、幸せな生活を送るために、いい会社に入ろうと思い、良い大学に入る努力をしたのに、受験に失敗したりしたら、その先の道が絶たれたような気になったり。
最初のシンプルな願いは、何一つ傷ついていないのに、
まるで、すべてが奪われるように感じたり。
もし、これで、願を叶えることをあきらめるとしたら、悪いのは誰ですか?
世の中ですか?理解がない周りの人ですか?
忘れてしまっているかもしれませんが、
最初の願いは、本当に本当にシンプルなことだったはずなのです。
思い描いたように、ちっともうまくいかなくたって、最初の願いまで奪われたのではなければ、本当は、どってことないのです。



