マダムY.の優雅なる日常

日本のコートダジュール、横須賀日本のニース、広島の呉で、瀬戸内海に沈むオレンジ色の夕陽を眺めながら暮らすマダムY.の優雅な日常生活をあなたに送ります。 好きなもの:えび

about マダムY.の優雅なる日常 98年にサイトを立ち上げたときから、残り続け散るコンテンツです。為になるようなことは1つも書いていません。

2016/06/03

マズローの5段階

先日、オイコノミアというTV番組を見ていたら、久しぶりにマズローの5段階という言葉を聞きました。
 
人の欲求を生理的、安全、社会(家族や社会に属する)、承認、自己実現の5つに分けて、ある程度満たされると、人の欲求は次の段階に進むというあれです。
1~4は自分に足りないものを埋めたいという欠乏欲求ですが、それらが満たされたとき、人は自分の脳力を引き出し、創造的に行きたいと望むという存在欲求だからか、より高尚みたいなイメージが有るかもしれませんが、必ずしも満たされていなくてもより上の段階を目指すこともあるので、どうかなぁ?と思うところも。今の時代には合っていないという専門家もいますし。
ただ、モチベーションとしてとらえた時は、私も似ているかな?と思うところも。
 
イメージとしては、自分の居場所を見つけられることで、その一員としての自分を考えたり、その場所に慣れてくるに従って、認められたいと思ったり、もっと自分を表現したいみたいな感じかな?
下位の欲求を満たすことで、他の欲求をモテる余裕が出てくるんですかね?
 
この中の4段階目の承認欲求。
これは、他人に認められたい、自分で自分を認めてあげたいという、程度の差はあれ、誰にでもある欲求の一つです。
これが満たせないとき、自分に価値が無いような気がして、寂しさを覚えます。
認められたいから、自分で自分を認めたいから頑張るという人もいると思いますが、モチベーションとしては、ちょうど盛り上がってきたときに持つ欲求なので、これが満たされないとガクンと下がるかも。
中には、絶対認めてもらおうと、より努力する人もいるかもしれませんが、自分を認めてくれない相手や世の中を嘆いたりする人も。
 
でも、なんで認めてもらえないんだろう?というときに、たまに耳にする『他人に認めてもらいたければ、まず、自分で自分を認めてあげましょう』という難解な言葉。
いや、自分で自分を認めてるから、他人にも認めろと思っているんだし!
という人もいると思うんですが、そうなんでしょうか?
 
他人に認めてもらえないと感じる理由としては、
他人に見る目が無い、
自分が認めて貰える条件を満たしていない
以外に、本当は認められているのに、自分がうまく受け取れていないという時があります。
 
人は、自覚しているかは不明ですが、いろんなことに対して何らかのイメージを描いていることが多いのですが、
そのときに、自分が描いた手応えや反応か、それを越さない故に、実感が持てないというやつです。
他人は、自分の脳内の人間ではないので、それぞれ思ったように感じ、表現しますからね。
   
こうなると、世の中の無理解のせいでも何でもなくなります。ましてや、自分が評価されていないわけでもない。
この時に必要なのが、自分のスペックではなく、自分の可能性と人間性を信じる力。
自分を認めるって、コンプレックスを見ないことでも、ステキな人間であると念じるように思い込むことでもなく、自分にどれだけ期待できるか?ってことだと思います。

逆に、自分で自分を認められないと、自分を認めるために他人により求めようとする。
ま、いいか…と思えたら楽なのですが、そうじゃないと欲求にきりがないのかも。
 
自分が否定されていると思うのと、必ずしもそうではないと考えること、
これをどう扱うかで、人のモチベーションも変わるし、自ずと得られる結果も違うと思います。
 
さて、この欲求には実は6段階目があるとか。
人類の2%だけが到達するという、コミニュティー発展の欲求とかで、自分のためではなく、ただ、純粋に自分が属する世の中の反映や他利を満たしたいという欲求とか。
 
その下の欲求だらけでとてもじゃなけれど、そこまで到達できるようにも思えない私からすれば、高嶺の花というところでしょうか?
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