『何やってんだか』
っていう感覚が、ちょいとずつだけど戻ってきた。
この1か月、インターネットの占いにどれだけ貢いできたことか。
正直、自分に活かせたものはなかった。なんていうのか、占いってそもそも、その学術的な枠があるじゃん?そこそこできた占いでも、自分の住んでいる町内までは来てくれても、自分の家にまではたどり着けないってところがあるんだよね。でも、人は不安になると、何か希望の道しるべが欲しくなり占いをしたがる。だから今、占い屋は大繁盛。そいでも、自分の支えになったり、一歩踏み出すきっかけになるのなら、占いは安い物なのよ。
自分たちの考えや感情に関係なく、自分の日々の中には流れっていうものがあるのです。
行くべき所に行く時は、その流れに乗ったかのように物事が運勢に関係なく開けて行くもんで、逆に辛いと感じる時(流れに乗っていない時)は、そもそも、そっちの流れに行くべきじゃないか、その流れに逆らっている状態に意味がある時か。
会いたい人がいるとするでしょう?流れに乗っている時は、どうしなくても会える。
流れに乗っていない時は、自分とすれ違っても気づかない。
意味がある時は、道草しているようなもんで、でもその道草で手にしたものが、流れに重要な役割を果たすという感じ。
引き寄せっていうのは、この流れを自分の希望でコントロールしようとすること。
わくわくとか感謝っていうのは、本来は流れに乗っていると自然と湧いてくるものなんだけど…
私が一つ思うのは、確かにわくわくとか感謝している状態っていうのは、心が柔軟性に富んだ状態だと思うのよ。だから、チャンスも活かせるし、自分も軽い状態。
でもね、この言葉が独り歩きしたとき、何でもかんでも感謝しようと思うと、やっぱり違うと思うのよ。
つまり、辛い状況は辛いと思うべきで、辛いと気づいたときに辛い状況から脱却するきっかけとして感謝することであっても、辛いということを受け入れて感謝すべきじゃないんじゃないかってこと。辛くてとても感謝できる状況ではない自分に無理やり感謝させるってどうよ?
いじめられて辛い思いをさせられているとするでしょう?
その時、仲裁に入ったやつが、よく知りもしない癖に「いじめられる奴も悪い」なんて言ったらムカつくよね。
更に、相手に感謝しろって言われたらふざけんな!だよね。
これを自分にやっているようなもんだわさ。
この半年ぐらい、私は何かこれらをまとめて体験してきたような気がするわ。
本来、のほほ〜んと流れに乗っていれば良いのに、ついスケベ心で脇道にそれ、そのまま本流に戻ることを考えずに、道草しまくった揚句に迷子になってもだえ苦しんでるって感じ。
迷子になって道を聞きにいったはずなのに、宇宙人との会議に出席してみた〜り、他人の前世からの因縁を掘り起こしてみた〜りするが、相変わらず自分は迷子。ぐすん。
これが、なにやってんだか状態。
私の神様。とりあえず一旦、本流に戻ろうよ。
* * * * * * キボウのカケラ* * * * * *
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