愛知万博(愛地球博)に42回ほど行った記録
+最後の日 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

セキュリティー袋泣いても笑っても最後の日です。
予想では最後の3日間は激混みで入場制限もあるのでは?といわれていたので、うちの親は『15日で万博を卒業する。だから日立と日本館を最後に見せてくれ』と事前予約をねだられたのですが、今日になったら何も見られなくても良いからやっぱり行くとのこと。
ってことで、 今日の前半は今までいけなかった外国館のお土産屋をみたり、写真を撮ったりして、後半はひろりんと落ち合って、今までお世話になったパビをまわろうと思ってました。

で、最終日のゲートは、卒業したけど…何も見なくてもいいから…と同じように考える人々でいっぱい。更に本日は皇太子様、小泉首相等のVIPがいらっしゃるってことでなんだか騒がしいのですが、それでも想像よりはスムーズに入場しました。空を見上げると、台風一過の青空。万博の最終日にはふさわしいお天気です(涙)。
当日配られた写真にあるのはセキュリティーチェックを軽減する為に金属探知機に引っかかりそうなものを予め入れておくためのビニール袋です。

ちなみにこの日はどこのパビも混雑。赤十字館なんて360分待ちだもんな。万博が始まったとき、企業館でも、ドイツ館でもないパビがここまで話題になるとは想像つきませんでした。


+中国館 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

中国館とりあえず、GC1を周ることに。父は以前、万博で別行動をした時に、中国館でなにやらとっても良いショーを見たらしく、それ以来中国館のファンに。ってことで並んだのですが私たちがやっとこさ入った時は、間が悪く、何の記憶に残るようなイベントはやってませんでした。

中国館にも何度か来たけど、やっぱり一番最初に来た時の印象が強かったな。演奏やイベントにかちあわなかったっていうのもあるけど。
中国は愛知万博規模の万博の次の開催地なんだけど、GC1でも大きなパビリオンだったし、いろんな地域が担当してイベントを行ったり、サニーガールズといわれる人たちはとても人気があった…が、私は彼女達にも会ったことがないので、この辺のすごさが私の思い出には欠けているので、彫刻された壁と、なにやらすごそうな展示とお土産屋という印象しかないのだ。
唯一、最初にこのパビリオンに入ったときに小さな机で漢字の一筆書きをしていた人がいた。これは凄い!と思った。小学生がその漢字を貰って『謝々』と言っていた。休憩に席をはずそうとしていたその人を止めるようにおじさんが1枚リクエストをして描いてもらっていたのを、羨ましいなぁと思ったけど私もと言えず。それに、次の機会で良いやと思ったけど結局それっきりだった。貰えなくてもいいからもう一度見たかったな。

万博は日々変化したり成長していったけど、必ずしも一番良いタイミングでそのパビを見学できるとは限らなかったし、逆にこのときに入らなかったらめぐり合えなかったっていうこともあった。本当に何度来ても万博に飽きるということはなかったし、もっと視点を変えたり、視野を広げたら違う楽しみ方ができたんだろうな。本当に半年だけの幻のような不思議な空間だった。


+最後に食べたもの 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

ネパール館 カレーその後順番にパビを見て行き、ネパール館へ。ネパリノ友人たちはやっぱり忙しそう。混む前に食事にしようと、ネパール館のカレーを食べる事に。ミックスベジタブルを使った野菜カレーだったけど、本当にお世話になりました。(気がつけばこれが最後の食事に)

それから下のお土産屋をちょっと覗くと、皮製のブラウスが1枚5000円に。2枚なら1枚4500円にってことで購入。
私は宴会で一緒だったネパリしか知っている人はいないのだけど、ネパリは友達になると本当に誠実な人たちのようで、私の横でもスタッフと別れを惜しんでいるお客さんがいっぱい。私も挨拶をしたいのだが、この忙しいさなかじゃ申し訳ないし、後でひろりんと来れば良いか…って思っておりました。


+また会いましょう 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

アンデス館 mamani mamaniそれでは…ってことでアンデス共同館
うちの両親をママニさんとルルに紹介。母がルルにご挨拶のキスされて『生まれて初めてだ』と感動していた。ママニさんがカードに似顔絵を描いて両親にプレゼントしてくれた。その後、お土産コーナーの方に流れる…のだが。

前から気になっていたのだが、ママニさんが1人だと『ここにお金を入れてください』という箱をテーブルの上に乗せているので危険だなぁと思っていた。彼はスペイン語しか喋れないしね。
今日はメインの通路を挟んで、販売箇所が2箇所なので、それぞれのポジションにルルとママニさんの一人ずつしかいない。ただでさえ万博の最終日だし、SISAYの人気は爆発しているし、売店はSALEだしで鬼込みのアンデス共同館。絵もガンガン売れている。…ということで、両親とは別れてそのまま残って売店をしばらく手伝う事に。
楽しかったぁ。私がスタッフじゃなく一般客だとわかると、ポスターの袋詰めとか手伝ってくれるのね。気がついたら接客したお客さんが一緒になって呼び込みしたり接客してくれてたり。いろんなお客さんともお話したなぁ。写真も何枚か撮られたけど、後でこの写真、なんだったんだろうと思うんだろうな。でも、お客さんたち本当にありがとう。
そのうちひろりんも来たので更にヒートアップ。SISAYの音楽にあわせて踊りながらいらっしゃいませ♪ママニさんが持ってきてくれたイチゴジュース、おいしかったなぁ。声はかれて、写真を撮ったり、SALEでお買い物はできなかったけど、これだけ楽しませてもらった万博にちょっとだけ恩返しの真似事ができたようで嬉しかったな。 結局4時間ほど手伝って、ルルに『私たちにはさよならはないのよ。またね』と言われて別れる。お土産屋のボリビア人ともお別れ。遠い国から万博に来てくれて、本当にありがとう。

その後キューバ館で最後のモヒート。いつもおいしいモヒートをありがとう。
そしてモロッコ館へ。お茶を飲んでいるうちに、卒業したはずのみんなと再会。そうだよね。やっぱり最後まで万博に来たいよね。
モロッコの職人のみなさん、ありがとうさようなら。名物男のモレイさんもさようなら。ありがとう。


+自転車タクシーのラストラン 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

自転車タクシーネパール館を目指してグローバルループを歩いていると、自転車タクシーのラストランの列と遭遇。
一度乗ってみたかったんだけど、だんなちゃんがいる時に…って思っていて、結局一度も乗れなかったのが残念。アシストがついているとはいえ、暑い日も寒い日もグローバルループをいつも走っていた自転車タクシー。 『ありがとう、ありがとう』と言いながら走っている。拍手したりハイタッチしたり。ありがとうはこっちだよ。 本当にお疲れ様。

地球広場には最後のイベントに向けてたくさんの人が集まっていた。それも見たかったけど、もう帰らなきゃ。モロッコ館でちょっと長居しすぎたかな。結局、ネパリにちゃんとお礼がいえなかったのが悔やまれる。本当にありがとう。あなた達と出会えてよかったよ。


+最初と最後はカタール館 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

ところで、ひろりんたちはカンボジアの扇子に外国人のサインを集めていたのだが、ケリたんが後2〜3人分欲しいというので『カタール館はどう?』と提案、一緒に行く事に。
万博で最初に行ったパビは夢見る山の日本ガイシなのだが、始めてみた外国館はカタール館だった。そして最後も偶然にもカタール館。

カタール館といえばピンバッジを初めとする大盤振る舞い。最終日にもいろいろ配ったっていう話も聞いたけど、とりあえず私たちは切手2枚なので置いときますが、本当にいろんな物を貰った。ピンバッジや、布を織ったキーホルダー(?)、切手…。切手はバラでもらった事もあるけど、自分の写真入でシートでもらう事も。それから無料のヘナタタトゥ。材料が全部揃えばカタール料理も振舞われる予定だったらしい。私はあんぽんたんなので、カタールという国がそんなにお金持ちの国とはてんで知りませんでした。

でも、石油万歳かとおもたら水が豊な国なので発達した漁業や、石膏細工などの伝統工芸、1本弦のバイオリン(木枠と羊の皮でできた胴に1本だけ張られた弦を、馬毛の弓で弾く伝統楽器で遊牧民が愛用)の展示などもあり。更にステージでは楽器の演奏なども行われておりました。コンセプトも『新旧の調和ある開発』だし。
なんか勝手にこの辺りに↑どこにでも公正というスタンスで放送されているアルジャジーラが存続できるりゆうがあるのかなと思いました。
そういえば、日本経済のお偉いさんたちがカタール館にご挨拶に行ったと言う噂も小耳に挟みました。やっぱり実力のある国だったんだね。
万博開催前の認識度はともかく、万博終了時には抜群の存在感を誇る国となっておりました。

いや、国の貧富や認知度、人気度ではなく、どんなパビにするかやスタッフの対応で人気度、好感度がガラリと変わってしまう万博は、ある意味下克上ですな。


+ありがとうありがとう 2005-09-25 (Sun)
(入場者:244052)

愛地球博帰りはひろりんと八草までバスで出てリニモで藤が丘へ。たまたま八草駅の乗ったエレベーター、今日で最後だって。そう思うとなんとなくしみじみ。エレベーターもさようなら。

リニモの藤ヶ丘駅でも『185日間、ありがとうございました』とスタッフの声。本当にお疲れ様でした。ありがとう 。エスカレーターから感謝の拍手。
スタッフのみなさん、ボランティアのみなさんもありがとう。 情報をくれた2ちゃんねるや、ネット上のみなさんもありがとう。 私の万博を一層楽しいものにしてくれた友達もありがとう。 万博三昧させてくれただんなちゃんと家族にもありがとう。



+思い出したこと 2005-09-xx (---)
(入場者:---)

味の博覧22日の品川から名古屋に向かう新幹線の中。ラジオを聴いていただんなちゃんが、片方のイヤフォンを私に。聞こえてきたのは万博についての対談。

リピーター型の万博らしい。堺屋(彼は万博から降りた)がそう言ったという話だったのかな。
万博に行くまでは、パビリオンは一通り見たらいいだろうと思っていた。1度じゃ無理でも2回も行けば、それなりに見たつもりになるかなと思っていた。何度行っても足りないなんて思いもしなかったな。その辺にいる爺さんもばあさんも楽しそうだった。病院でヤンキーのごとくたむろっているときより100倍元気そうだ。
手作りっぽい万博かもしれないし、偉大なる地方博だったかもしれないけど、私はこういう万博で本当に良かったなって思ってる。

写真のお弁当は万博がきっかけで生まれた味の博覧。好評だったので万博閉幕後も販売が続いております。


+終わりは始まりの始まり 2005-09-xx (---)
(入場者:---)

万博終了万博の次の次の日の名古屋駅。インフォメーションのモニターには一枚の紙が。『愛地球博は閉幕いたしました。たくさんのご来場誠にありがとうございました。』
名古屋駅で出迎えてくれていた、たくさんのモリコロは、きれいに消えて、たったこれだけになってしまった。そしてこいつも消えちゃう。

4月、だんなちゃんの友人の結婚式の2次会でのこと。
『では、思い出しながら描いてもらいましょう!愛知県民なら描けて当然!』と、漫研出身者の中で書かされたモリゾー。
『愛知県民じゃないもん』と言いながら描くものの(これは何とか描いたけど、ドラゴンボールのベジータが描けなかった。見たことないもん)、そのことでモリゾーがトラウマになり、名古屋の町に溢れるモリゾーはもちろん、初夏の日差しの中で美しく揺れる緑の木々でさえ、恐怖のモリゾーと化して私を襲い続けた。でも、今は、モリゾーが迎えてくれない名古屋駅が淋しい。
GWの万博は混んでいるだろうと思って、イタリア村に行ってしまったことも悔やまれる。

関東では万博はどこか遠い国でやっているような感じで、そんなところまで行かなくても楽しめるっていう人もいたけど、私は本当に万博が大好きだった。
万博跡地もっとあ〜すれば良かった、こ〜すればよかったとも思うけど、でも、どうであれこうであれ、私の毎日に万博があって本当に良かったのだ。
たぶん、私の、あれ食べた、これ見た、こんなことやった…って言うのからでは何も伝わらないと思うけど。
あ〜良かった、あ〜楽しかった、そんな感覚からもう一歩外に出られたらなとぼんやり思う。終わりは始まりの始まり。


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万博 らぶ
Name:あや 

名古屋に実家があることをいいことに、だんなちゃんが仕事でいなくなると、新幹線に乗って万博に通いまくったバカ女は私です。
これは、すでに老化が始まってボケボケの頭で必至に思い出しながら、今更書いている、私の万博の記録です。

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